新編スタート:20日で仕上げる!

正解は、大化改新

【まとめ】

蘇我入鹿暗殺を「乙巳の変」、

その後の一連の政治改革を「大化改新」と呼ぶ。

難波遷都、孝徳天皇即位で東アジア情勢に対応。

「大化改新は、なかったらしいで。」という人に。

知人のSNSのコメント欄に、「大化改新はなかったという説もあるようです。よく知りませんが。」みたいな言葉を書いた人がいました。。

おそらく、何かのキャッチコピーをどこかで見て、それに引っぱられてしまったのでしょうが、「大化改新」がなかったわけではありません

ただ、言葉の定義は変わりました。

これを機に、今までと何が変わったのか整理します。

古代史講義戦乱篇:コチラも

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ここが変わった大化改新

ちょっと昔現在
蘇我蝦夷が中大兄皇子に殺されたことを「大化改新」と呼んでいた。蘇我蝦夷が中大兄皇子に殺されたことは「乙巳の変」と呼ばれ、その後の政治改革を「大化改新」と呼ぶようになった。
戦後から「大化改新虚構論」が盛ん。

当時、「郡」という分け方はしていなかったのに、「郡」という文字が書かれていることなどから。(「郡評論争」)
出土した史料などから大化改新の画期性を再評価。「改新の詔」は日本書紀編纂の段階で大幅に修正された。
「蘇我家」vs「天皇家」。蘇我家の中でも蘇我倉山田石川麻呂がクーデター側についていること、古人大兄皇子がクーデター後に中大兄皇子に殺害されていることから、蘇我家内部、王族内部の勢力争いがあった。
首謀者は中大兄皇子。クーデターの中心人物に軽皇子(孝徳天皇)が挙げられるようになった。

政変後の政治で行われたこと

ほぼ確実なのは、

①難波への遷都(朝鮮半島の変動により早く対応するため)

②皇極天皇退位と孝徳天皇即位、阿倍内麻呂が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂が右大臣となった(皇極が自分の意思で退位したのかどうかは判別が難しい。退位したケースはこれが初めて。)

③647年に13階、649年に19階と冠位の改定が行われた

④孝徳天皇期に全国的に評制が施行(評と言う行政単位を設け、評の官人となる地方豪族は地方行政に専念させ、中央官人となるものとを分けた。また、役夫動員の体制作りにもつながった。)

大化改新略年表
645.6.14新政府発足
645.6.19大化元年とする(初の年号制定)
645.8.5東国に国司任命。戸籍作成開始。
645.9.12中大兄皇子、古人大兄皇子殺害。
645.12.9難波遷都
646.1.1改新の詔
6463.22薄葬令(→巨大古墳消滅へ)
649冠位十九階制定。八省百官設置。
蘇我倉山田石川麻呂を討つ。

そもそも、なんで政治改革する必要に迫られたのか?

これには、まず唐の成功が1つです。

唐は李世民の時代となり、さらに飛躍を遂げておりました。

その波は朝鮮半島にまで押し寄せ、640年代の朝鮮半島は血を伴った政治改革が行われました。

640年代の東アジア
百済641年、義慈王(~660)がクーデターで権力掌握
642年、新羅に攻め込む
高句麗642年、泉蓋蘇文(~665)が大王と大臣以下の貴族たちを殺し政権掌握、百済と組み、新羅侵攻準備
新羅善徳女王は高句麗・唐に救援を求めたが、高句麗は逆に百済と手を結び、唐の要求は「女王交代」。
647年、内乱状態に
649年、親唐路線に切り替える
644年、高句麗遠征
647年、高句麗遠征
648年、高句麗遠征
645年、乙巳の変
※蘇我入鹿は高句麗型(=大臣独裁型)の統治を目指していた

つまり、「大化改新(=中央集権的な改革)」が必要だったのは日本だけではなかったのですね。

640年代の朝鮮半島情勢:コチラも

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