新編スタート:20日で仕上げる!

[138] 663年、倭・百済軍が唐・新羅軍に敗れた戦いは?

正解は、「白村江の戦い」。

この戦いですが、大きく分けまして「大決戦説」と「なんちゃって説」があります。

この際、どっちが正しいかということはあまり重要ではありません。

日本史を勉強していると全く異なる見解がある事態にしばしば出くわしますが、こういうことには、

慣れるしかないです。

大決戦説

「大決戦説」では、この一大決戦に敗れたことにより倭国は半島から撤退、一大決戦に勝利した唐と新羅が覇権を握った・・・とされます。

おそらく、そういうイメージを持っている方は多いでしょう。

なんちゃって説

一方、「なんちゃって説」としましては、「言うほど大決戦ではなかった」とするものです。

歴史作家の荒山徹先生の書籍などを見ると、「なんちゃって説」が舌鋒鋭く書かれておりまして、目を引きます。【コチラ

また、荒山先生は倭国は「新羅とは戦っていない」と述べられております。

「詳説日本史」では倭が「唐・新羅連合軍に敗れた」と書かれていますが、どうなんでしょう。

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たしかに地上戦においては新羅軍と戦ったことは明記されておりますし、「詳説日本史研究」でも新羅は陸路で百済に向かっている図があるのですが、白村江においては、唐の水軍としか戦った形跡がありません。

「つまり、新羅とは陸路では戦ったが、海路(白村江)では戦っていない」ということなのでしょうかね?

つまり、「白村江の戦い」をこの「白村江」に限定すると、新羅とは白村江で戦っていない、となりますが、「百済復興運動に伴い663年に倭国が朝鮮半島に乗り出したことで生じた一連の戦い」を総称して言うと、新羅とも戦った、となりますね。

最近は「白村江の戦い」を「百済復興戦争」と言うようになってもいるようです

「白村江」の場所は覚えましょう。

「危機を煽った説」

さらに、「なんちゃって説」の中にも、「中大兄皇子が中央集権を狙うために危機を煽った説」(【コチラ:歴史街道】)や、「唐と戦うつもりはなかったけど、バッタリ遭遇してしまった説」(【コチラ:古代史講義戦乱篇】)などもあります。

「危機を煽った説」は支持基盤が弱かった皇極天皇、中大兄皇子が危機を煽ることで中央集権を実現し、地方豪族もついでに戦地に送り込むことで勢力を弱めさせたというもの。うーん、面白い。

「バッタリ遭遇説」

「バッタリ遭遇説」は、

 
百済
唐は来ないから助けに来てよ!
 
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わかったよーん

 
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あ、誰かおる。って唐やん!\(◎o◎)/!

みたいな。

いずれにしても、白村江の戦いにおいて倭国は中心ではありません。

唐という大帝国、それに対する東アジア諸国、という見方で見るべきと思います。

【まとめ】

 

663年、「白村江の戦い」=「百済復興戦争」

唐の水軍と白村江で対決。

(白村江では新羅と戦っていない。)

東アジア情勢の一環と考えるべき。