新編スタート:20日で仕上げる!

【1-5】 1837年、「モリソン号事件」と新興国アメリカ。

1825年に発令された「無二念打払令」は、いくつかの問題を引き起こしました。

そのうちの1つがコレです。

[726] 1837年、異国船打払令によってアメリカ船が撃退された事件は?

正解は、「モリソン号事件」。

1837年、浦賀に一隻の外国船が現れました。

そこへ警備にあたっていた藩が砲撃

さらに、鹿児島でも砲撃!!

1年後、オランダ商館長が、

オランダ
「あんたらの砲撃した船、イギリス船やで。」(実はアメリカ船)

「しかも、漂流した日本人送ろうとしてくれてたで。」

日本
えっ!!

という事件がありました。

この船の名前は、「モリソン号」。

オランダは「イギリス船」と誤認していましたが、「アメリカの商船」で、日本の漂流民を送還し、通商交渉を行う予定でした。

漂流民を伴って通商交渉、っていうパターン、ラクスマンの時もそうでしたね。
コチラ

しかし、今回、有無を言わさず発砲したことに対して、

「そんなことをしたら報復されるんじゃないの?」

「だったら江戸湾、もっと軍備しないとダメなんじゃないの?」

「幕府のバカ!」

という声が上がります。

[727] モリソン号事件を批判した高野長英らが弾圧された事件は?

これらの批判のうち、

「幕府のバカ!」

という部分が問題視され、渡辺崋山高野長英ら洋学者たちが弾圧された事件を、

蛮社の獄

と言います。

「モリソン号事件」が1837年
「モリソン号事件発覚」が1838年、
「モリソン号事件への批判への処分」が1839年

タイムラグがあることにも注意

この事件は、儒学者が「日頃から目の敵にしていた洋学者を嵌めた事件」と書かれることもあります。

儒学の林家の家系である鳥居耀蔵(1796~1873)などは、そのキャラクターもあるにせよ、「詳説日本史研究」(山川出版社)ではボロクソです。

ただ、鳥居は、彼なりに残したい江戸の「秩序」というものがあったのでしょう。

1872年には

五十年後の未来を予想できるならば、日本はおそらく野蛮人の国となっているだろう。

(後ノ五十年須ラク見ルヲ得ベケレバ神州恐ラクハ是レ夷郷ト作ラン)

という言葉を残して、翌年、死去しました。

コチラ(↓)は「蛮社の獄」wikipedia。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%AE%E7%A4%BE%E3%81%AE%E7%8D%84

江川英龍に何度も書き直しをさせられるなど、端的にいうと、「渡辺崋山は文章が下手だった」とも考えられます・・・。

高野長英はシーボルトの弟子だね。

1846年、ビッドル来日。

ペリーがあまりにも有名ですが、彼の先輩、ビッドルも忘れてはなりません。

彼は1846年に来日して通商交渉を行いましたが、この時は「穏便」過ぎたせいか、不成立となりました。

しかも、帰る時に船を乗り間違えて、中にいた侍に斬られそうになったし。
しょーがねーだろっ!
奴がいきなり入って来んだし!!

これらの失敗を教訓に、ペリーは、脅迫めいた交渉が行うことにします。

1846年~1848年、米墨戦争。

1853年のペリーが強気に出ることが出来た原因は他にもありました。

それは、

米墨戦争(アメリカ=メキシコ戦争)の終結

です。

1776年に独立宣言を行ったばかりの若い「アメリカ」ですが、50年もすると太平洋まで達し【wiki】、

さらには米墨戦争の勝利で、対メキシコ軍をアジアに向けることができました。

ちなみに、アヘン戦争が有名ですが、米墨戦争も高山正之先生の書籍などを読んでみると結構「ひどい」ものですよ。

若き日のリンカーンは「防衛と言いながら実は侵略で、憲法違反だ」と議会で指摘したところ、逆に非愛国者と非難され、次の選挙に出馬できなかった。

のちにアヘン戦争(1840~1842)を非難したアメリカ役人がイギリス役人に「だったら、お前らの米墨戦争はどうなんだ」とすごまれる場面もあります。

アヘン戦争と米墨戦争が同時期に行われていたことも頭に入れておきましょう。

skeezeによるPixabayからの画像

memory

[726] 1837年、異国船打払令によってアメリカ船が撃退された事件は?

→「モリソン号事件

[727] モリソン号事件を批判した高野長英らが弾圧された事件は?

→「蛮社の獄

1日目はこのあたりにして、2日目は当時の「尊皇攘夷」思想について触れたいと思います。