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①原始時代-3/5(弥生時代の文化、農業)

弥生時代の文化、農業

[25]弥生時代に北海道で展開された鉄器文化は?

正解は、「続(ぞく)縄文文化」。

昔は、縄文土器があった頃が縄文時代、弥生土器があった頃が弥生時代、って分けられていたけど、土器のちょっとした形の違いで時代の呼び名を変えるなんで実に不自然。

現在では、「縄文時代=採取経済」、「弥生時代=農耕経済」という経済基盤の違いで区分されるようになってきました。

しかし、北海道では松前藩が家臣に「商場知行制」をしたことからもわかるように、江戸時代においても稲作が普及していない。

稲作をせずとも十分生活できたという証明だと思うけど、北海道では、「採取・狩猟・漁労」文化が継続し、これを弥生文化と分けて、「続(ぞく)縄文文化」と呼ぶことにしているんだ。

青森県弘前市の砂沢遺跡を見ると、一度稲作が普及した後でも洪水の後、縄文時代の生活に戻っていたりしていたことがわかったの。

もっとも仙台では紀元前2世紀に津波に襲われたけど、稲作を続けたわ。

「縄文人が稲作にとびついた」というのは過去の考え方で、稲作は300年くらいかけてゆっくり浸透したと考えましょう。

[26]弥生時代に沖縄で展開された文化は?

正解は、「貝塚文化」だね。

なんで、北海道の「続縄文文化」と違う呼び方をしないといけないのかわからないけど。

とりあえず、12世紀のグスク(城)時代まで続くよ。

[27]弥生時代前期、直播(じきまき)が行われた水田は?

正解は、「湿田」。

難しいことは言わんと、とりあえず水気が豊富な湿地に植えた、みたいな。

縄文時代後期に稲作がされていたと言われている佐賀県唐津市の「菜畑遺跡」も湿田、直蒔であったよう。

一方、菜畑遺跡に次ぐ古さの水田跡が見つかった福岡県板付遺跡では低湿地ではなく、台地に水路が作られてできた乾田と考えられている。

ちなみに、「稲作が縄文時代から行われていた」というのは最早、「常識」。

[28]弥生時代後期、田植えが行われた水田は?

というわけで、正解は「乾田(かんでん)」ですね。

灌漑が必要だけど、生産効率は湿田より勝るのよ。

[29]穂首狩りに用いられた道具は?

正解は、「石包丁」。

多分、使い方わからないと思うので、こちらの動画を(↓)。

現代の包丁みたいな使い方ではない。

[30]水稲耕作が伝来した当初、用いられた農具は?

木製農具」。

弥生時代は石斧が鉄斧になるなど、石器が鉄器に変わった。

炭素14年代法などの測定法の進歩により弥生文化が紀元前10世紀まで遡るという説がある。

しかし、中国で鉄器が使用されていたのが紀元前8世紀頃と考えると、弥生時代中期から鉄器が使われたという従来の説と矛盾が生じてしまう。

また、農耕文化は中国大陸が戦国時代に突入した時期(紀元前403~221)に戦乱から逃れてきた人々がもたらした、という説もあるが、弥生文化が紀元前10世紀となるとこの説も成り立たなくなる。

イネの伝播経路は山川出版社の教科書には「朝鮮半島経由」説を有力としているけど、DNA調査の結果では長江流域が起源とされている。【コチラも

(とうほうの「日本史ライブラリー」にも「朝鮮半島から伝播した可能性は低い」と書かれる。)

さらなる研究が待たれる。

[31]弥生時代、脱穀に用いられた主な農具を2つ述べよ?

正解は、「(木)臼竪杵(たてぎね)」。
その他の木製農具として出てくる「えぶり(杁)」というのは、水田面をならす、要は野球場をならず「とんぼ」のようなもの。

「田下駄」は主に湿田で必要でした。「鋤」「鍬」は耕すのに必須。

[32]収穫した作物を保管した場所は?

正解は、「高床倉庫」。

ってなってるけど、

弥生土器」は形が大きく、貯蔵可能。

[33]静岡県にある農業遺跡は?

正解は、「登呂遺跡」。

1943年、戦時中に発見。1947年~1950年に発掘される。

【弥生時代の代表的な遺跡】

砂沢遺跡青森最北端の農耕遺跡。東北地方への稲作伝播の速さを物語る。(弥生前期)
板付遺跡福岡高度な灌漑が行われていた。(弥生前期)
土井ケ浜遺跡山口300体の人骨。人骨の特徴から渡来系??(弥生前期)
吉野ヶ里遺跡佐賀日本最大級の環濠集落。(弥生前期~後期)
紫雲出山遺跡香川標高352mの山頂に作られた高地性集落。「しうでやま」と読む。(弥生中期)
唐古・鍵遺跡奈良邪馬台国の候補の1つ?(弥生前期~後期)
須玖岡本遺跡福岡甕棺墓に前漢時代の豊かな副葬品。奴国の中心で朝貢していた?(弥生中期)
荒神谷遺跡島根358本の銅剣と、銅鐸、銅矛が発掘。近くの「加茂岩倉遺跡」とともにイズモ王国の文化圏と考えられる。(弥生中期)
弥生町遺跡東京弥生土器のネーミングの起源。(弥生後期)
登呂遺跡静岡日本で初めて発見された水田跡。(弥生後期)
纒向遺跡奈良2009年発見。箸墓古墳は卑弥呼の墓?邪馬台国の有力な候補地。(弥生後期)

[34]弥生時代に用いられた、薄手で赤褐色の土器は?

1884年、東京都文京区本郷弥生町で、縄文土器とは異なった土器が初めて見つかったので「弥生土器」。

[35]食べ物を盛る脚付きの弥生土器は?

正解は、「高杯(たかつき)」。

現在でも使われているよね。

[36]弥生時代に大陸から伝えられた技術は?

正解は、「機織(はたおり)」。

機織といえば、「弓月君(ゆづきのきみ)」、「=秦氏の祖」なんだけど、名も知れない人たちによって、既に機織は始まっているんだよね。

「日本列島での布づくりは、縄文時代に植物性繊維を利用した編布(あんぎん)から始まる。弥生時代には、大陸から原始機(ばた)を使用した織布(しょくふ)の技術が伝来した。古墳時代の5世紀頃には、大陸から地機(じばた)を使用した織布の技術が伝わり、現在でも、茨城県・栃木県の結城紬の製作に地機が使用されている。

日本史のライブラリー(とうほう)

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