新編スタート:20日で仕上げる!

小国の形成

[49]倭が楽浪郡に使いを送ったことが記されている書は?

正解は、「『漢書」地理志」。

「志」は「誌」ではないから注意。

このあたりからようやく歴史っぽくなるね。

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歴史は史料から成り立つので当然史料から出題される。買わない理由がない。
楽浪郡は、今の北朝鮮の首都、平壌あたりね。

「『魏志』倭人伝」に出てくる「帯方郡」はそのもう少し南。

楽浪海中に倭人あり」(樂浪海中有倭人)と来れば、「漢書」だ。

313年、高句麗に滅ぼされるところで、再び出てくる。

[50]光武帝が倭国王に印綬(組み紐)を与えたことが記されている書は?

正解は、「『後漢書』東夷伝」。

光武帝といえば後漢を興した人物。

[51]後漢から受領した金印が発見された場所は?

志賀島(しかのしま)」ですな。
弥生時代末期は貿易の中心が糸島市(伊都国?)を中心とする「三雲貿易」や、この図のさらに北西にあたる壱岐を中心とする「原の辻貿易」から「博多湾」へと移っていった時期と考えられている。【コチラも:古代史講義

[52]後漢から受領した金印に刻印されている文字は?

漢委奴国王」(かんのわのなこくおう)。

ただ、これをどうに読むかは意外と問題で、

「委奴」=「いと」=「伊都国(現:糸島市)」として、「漢の、イト国王」という説もある。

奴国の中心と考えられているのは福岡市の南、春日市。須玖岡本遺跡はその中心と考えられているよ。

[53]卑弥呼が約30の小国を従えて支配した国は?

邪馬台国」だね。

ホントにあったのかどうかはわからないけど。

もし、あったとすれば、卑弥呼の記述が古事記か日本書紀かにあっても良いものだけど。

[54]邪馬台国の卑弥呼について記されている、中国の書は?

『魏志』倭人伝」じゃ。

「漢」→(ちょっとだけ新)→「後漢」→「三国志の時代」じゃぞ。

その「三国」とは、「魏」、「呉」、「蜀」。

しかし、最終的に勝者となったのは魏を乗っ取った司馬氏が立てた「晋」。

のち、匈奴に滅ばされて復興しているけど、復興した後を東晋、滅ぼされる前を「西晋」と分けて呼ぶこともあるけど、日本史的には「晋」でOK。

[55]邪馬台国は、どこを介して魏の皇帝に使者を遣わしたか?

正解は、「帯方(たいほう)郡」。

「倭人は帯方の東南大海の中にあり・・・」と始まる。

この記述をたどると邪馬台国が九州のさらに南の海の中になってしまうので、邪馬台国論争が起こるわけだ。

[56]卑弥呼が魏の皇帝によって与えられた称号は?

正解は、「親魏倭王」。

[52]と混乱している輩がいると聞くが、時代的にどう考えても、「魏」じゃろ。

[57]邪馬台国に存在した身分秩序を何というか?

大人(たいじん)、下戸(げこ)」のことかな。

「下戸は大人に道で出会うと、後ずさりして草むらに入り、話をする時は、うずくまるかひざまずき・・・」って話よ。

[58]卑弥呼の死後、女王となったのは?

「壹与」あるいは「壱与」、「台与」

読みは「イヨ」、あるいは「トヨ」と読むのが有力。

そもそもわからないことだらけなんだけど、荒れた倭国を卑弥呼が鬼道(呪術)を駆使して治め、卑弥呼の死後、再び荒れたため、壱与を女王にしたところ、再び戦乱が収まった、と書かれる。

[59]邪馬台国の位置について代表的な学説は?

近畿説、九州説」。

この議論は長い歴史じゃのう。

近畿だとすれば卑弥呼と崇神天皇(すじんてんのう:第10代、実在と言われる)は近親者で、北九州だとすればライバル。

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一方、邪馬台国は「存在しなかった」説も

[60]邪馬台国と敵対していたと考えられる小国は?

正解は「狗奴国(くなこく)」。

卑弥呼に従わずに戦争になったと記される。

候補としては、熊野の他、南九州、愛媛県(伊予国)、群馬県(毛野国)説もあるけど、もはや、「ファンタジー」の世界。

いくら調べてもわからないので、深追いしないように!

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